高校生と地域の大人が、ひとりの人として出会い直す時間をつくりました
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「じゃあ、ひとりずつ自己紹介してください。」
この一言は、思っている以上に重たく響くことがありますよね。
何をどこまで話せばいいのか考えながら、「自分の番」に備えているうちに、目の前の人の話が入ってこなくなる。
その場には、しばしば、目に見えない“評価の気配”が立ち上がります。そんな中では、無意識に「安全な自分」を選びがちではないでしょうか。
本来は人と人が出会うはずの時間が、いつの間にか「無難にまとめる時間」に変わっていく。
今回の高校生との探究授業では、そうした“自分を出すことへの緊張感”が、ほどけていく時間が生まれました。
その土台として活用したのが、語り合えるスゴロク「ナニモノソウル」です。
語り合えるスゴロク「ナニモノソウル」について
ナニモノソウルは、ただ自己紹介を促すものではありません。
「人が、役割ではなく人として出会い直すための装置」です。
人と人の間にある前提や関係性のあり方を、再設計していく仕組みがあります。
正解のない中で、
自分のことを語り合い、
聴き合い、
言葉を贈り合う。
その往復の中で、“自分とはこうだ”が更新され、他者の解像度が上がる。
自己理解と他者理解が同時に立ち上がる場を作っています。
今回の授業は、今の高校生たちのカリキュラムにある「総合的な探究の時間」の一環として行われました。
地域で活動する大人が伴走しながら、半年間にわたって高校生がテーマ探究を深めていく。その前段階として、“自己理解”と“関係性の立ち上がり”にこのワークを活用しました。
実際に起きたこと
ゲームの開始直後、場には少しの緊張がありました。
特に大人たちの表情には、「どこまで話していいのか」「綺麗にまとめるべきではないか」という迷いが見えていました。
高校生を前にして、“大人としてどう振る舞うべきなのか”という無意識の構えが立ち上がるものかもしれません。
けれど、その空気は少しずつ変わっていきました。
真剣に耳を傾ける高校生の姿や、等身大の言葉で紡ぎ出していく様子に触れるうちに、「うまく話す必要はない」という感覚が場に共有されていきます。
この場への影響が大きかったのは、大人たちがうまくいった経験だけでなく、少し痛みの残る過去や、いまも続く未完成な部分をそのまま語っていったことです。
綺麗にまとめるよりも、自分の内側から言葉を紡いでいく。
その空気の中で、高校生たちもまた、自分の経験を少しずつ語り始めていました。
過去のしんどかった出来事。
そこから自分なりに見つけた意味。
今の日常の中で大切にしている感覚。
飾らない素直な言葉が、大人たちにじんわりと響きます。
「話せる人」だけの場ではない双方向のコミュニケーション
正解のない中で話していい時間があり、聴いてくれる人がいるという安心感。
その文化に慣れていくと、だんだんと、みんな自分の手番が来るとノリノリで語るようになっていきます。
「ここでは、自分を出しても大丈夫そうだ」
「こんなに等身大で、話してくれるんだ」
お互いをそんなふうに感じられる関係が、その場で育っていくんです。
気がつくと、「コミュニケーションが苦手で、人に合わせがち」と言っていた生徒さんが、自分の大好きなことを、満面の笑顔で語っている。
そして、その喜びに溢れた語りを、誰かがうんうん、と聴いている。
その循環が生まれたとき、場の空気は一段やわらかくなっていきます。
お互いの印象や大切にしている価値観を言葉にして贈り合うフェーズでは、さらに笑顔が増えます。
自分では見えていなかった自分が、他者の視点で言葉になり、「そんなふうに言ってくれて、ありがとう」があふれる時間となりました。
「これをやる前は、“偉い立場の人”だと思っていたけれど、苦しい時期を沢山乗り越えてきた人なんだと思った。」
など、高校生から大人へ素直なフィードバックも。^ ^
“教える大人と学生”という関係性から、“人としてのフラットなつながり”へと変わっていく空気が生まれました。
授業の終わり、
「ゲームをする前と比べて、相手との距離は近づきましたか?」
と問いかけると、高校生たちが大きく頷いていたのが印象的でした。
大人の方からは、こんな声がありました。
「教えに行くのではなく、一人の人間として関わる機会。それでいいのだと思いました。」
「みんなからもらった言葉が、すこし気恥ずかしいけど嬉しい。何かを一緒に作り上げていく上で、まずはお互いを知ることの大切さを実感しました。」
立場を越えて関係性が結び直された実感がにじんでいるように感じ、嬉しく思います。
「心理的安全性」って、なんなのか。
人と人の関係性づくりに、近道はないのだと思います。
目的のために、近道をしようという意図は、案外透けて見えるものですよね。
まずは、
ただ目の前の人の言葉を、そのまま受け取ること。
自分の言葉を正論で固めずに、余白を持って差し出すこと。
その繰り返しの中で、少しずつ、関係の中にひとつの前提が生まれていきます。
それは、「違っても、この関係はすぐには壊れない」という感覚です。
この感覚があるとき、人はようやく、少しだけリスクを取れるようになります。
わからないと言うこと。
未完成のまま意見を出すこと。
相手と違う視点を置いてみること。
そうした“揺れ”を出せる状態の中で、意見を交わすことも、新しいアイデアを生み出すことも、ともに困難を乗り越えることも、少しずつ可能になっていきます。
その目に見えない感覚が、身体の中に静かに残り、その先の関係性を育てていきます。
ナニモノソウルは、この感覚が立ち上がるような対話の場を、学校や企業などでつくり続けていきます。